「すごい」が言葉になり始める
低学年の子は、美しいものを見て「わぁ」と声を上げる。考える前に口から出る。感動の最も素直な形だ。
3年生になると、その「わぁ」が少しずつ言葉を帯びてくる。「なんかいいよね」「すごいなって思った」「前にも似たの見たことある」。感動が意識化される。何に心が動いたのか、自分でも捉えようとし始める時期だ。
この言葉になりかけた感動を広げ、深めるのが、中学年の「感動、畏敬の念」の仕事である。感動を「あった/なかった」で終わらせず、「自分はこういうものに感動するんだ」という自己理解にまで結び付ける。3年生の道徳ならではの繊細な営みだ。
学習指導要領のねらい
中学年〔第3・4学年〕の文言。
美しいものや気高いものに感動する心をもつこと。
低・中・高を並べると、対象の広がり方が見える。
- 低学年:美しいものに触れ、すがすがしい心をもつこと
- 中学年:美しいものや気高いものに感動する心をもつこと
- 高学年:美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつこと
低学年の「美しいもの」に触れて「すがすがしくなる」から、中学年で「気高いもの」が加わり、高学年で「人間の力を超えたもの」「畏敬の念」へと広がっていく。
中学年の核は、この「気高いもの」という新しい対象にある。「美しい」は感覚的・視覚的なもの。「気高い」は意味や精神性を伴う。感動の対象が、目に見える美しさから目に見えない領域へと踏み出す転換点が、中学年だ。
道徳科の評価で見る学びの姿
道徳科では、他教科のように数値で到達度を測る評価は行わない。
数値などによる評価は行わない
授業の中で子どもの考えがどう動いたかを見取る。大切な視点は二つ。
一面的な見方から多面的・多角的な見方へと発展しているか
道徳的価値の理解を自分自身との関わりの中で深めているか
この授業では、次の姿を見取りたい。
- 多面的・多角的に考える姿:自然、音楽、物語、人の行為など、何に美しさや気高さを感じるかを複数の視点から考えている。
- 自分との関わりで考える姿:自分が心を動かされた経験を振り返り、その感動を大切にする意味を考えている。
美しさへの感動を入口にして、人の心の気高さに気付く感性へと広げていく授業にしたい。
中学年の発達特質——「人の心の気高さ」への気付き
学習指導要領解説にはこうある。
自然や音楽,物語などの美しいもののみならず,人の心や生き物の行動を含めた気高さなどにも気付くようになる。そのことを通して,美しいものや気高いものに意識的に触れようとする態度を育てることが大切である。
中学年は、「人の心の美しさ」に気付く時期だ。誰かの優しさ、誰かの頑張り、誰かのまっすぐさ。目に見えない美しさを、感じ取れるようになる。
教室で見かける場面を挙げてみる。
- 困っている子に黙って手を差し伸べた友達を見て、「あの人、いいよね」とつぶやく
- 苦手なことを諦めずに練習している子を見て、「かっこいいな」と思う
- 用務員さんが毎朝黙って掃除している姿に、「ありがたいな」と感じる
- 物語の主人公が弱さを乗り越える場面で、「じーんとした」と語る
これらは全て、気高さへの感受性である。低学年では感じ取りきれず、高学年になると照れて口にしなくなる。3年生だからこそ素直に語れる。この時期を逃してはいけない。
「想像する力」と「感じる力」を育てる
解説はさらに踏み込む。
こうした体験を積み重ねることによって,想像する力や感じる力がより豊かになっていく。自然の美しさや気高いものに触れて,素直に感動する心を育てていくことが求められる。
感動は、反復によって深まる。一度きりの劇的な体験ではなく、繰り返し美しいものに触れる時間を教育の中に組み込みたい。
詩を読む。音楽を聴く。絵を見る。自然に触れる。物語を読み聞かせる。教科の進度や行事の準備に追われると、こうした時間は真っ先に削られる。だが、感動する力を育てる時間こそが、子どもの心の根を伸ばす時間だ。短くてもいい。週に一度でもいい。美しいものに静かに向き合う時間を、学級の中に確保しておきたい。
「感じている自分に気付く」
解説には、もう一段深い視点がある。
感性や知性が著しく発達する段階であることに配慮して,児童が自然の美しさや人の心の気高さなどを感じ取る心をもっている自分に気付き,その心を大切にし,更に深めていこうとする気持ちを高めるようにすることが重要である。
注目したいのは、「感じている自分に気付く」という構造だ。
「わたしには、美しいと感じる心がある」「わたしには、誰かの気高さを尊敬する気持ちがある」。この気付きが、感性そのものを育てる。感動するだけでなく、感動できる自分を肯定する。自己肯定感の最も静かで深い形がここにある。
中学年は、自己肯定感が揺らぎ始める時期でもある。他者と比較して「自分なんて」と思いがちなこの時期に、「自分には感動する心がある」という事実は大切な拠り所になる。誰かと比べる必要のない、自分だけの内側の豊かさ。これを実感する経験を、道徳の時間で手渡したい。
指導の重点
1. 「心が動いた瞬間」を共有する
中学年の感動の授業では、「心が動いた瞬間」を語り合う活動が有効だ。
- きれいだなと思った景色
- すごいなと思った人の行動
- 心がじーんとした出来事
- なぜか涙が出そうになった話
- ずっと忘れられない一場面
書き出してみると、3年生は驚くほど多くのことを書ける。「自分にはこんなに感動する瞬間があったんだ」と再発見する時間になる。
他の子の感動を聞くことで、「自分も似た経験がある」「そんなことにも感動できるんだ」と、新しい感性の扉が開く。感動は、語り合うほど豊かになる。
2. 「気高さ」を身近な例で感じ取らせる
「気高い」は3年生にはやや難しい言葉だ。ただ、概念を避けるのではなく、身近な例から感じ取らせることで手が届く。
- 困っている人を黙って助けた人
- 約束を守り通した友達
- 弱さを乗り越えて挑戦した人
- 命をかけて何かを守った人
- 当たり前のことを長く続けている人
「ただすごいだけじゃなくて、心が震えるすごさ」。これを「気高さ」と呼ぶのだと、具体例を通して伝えていく。抽象的な定義より、「ああ、これが気高いってことか」と腑に落ちる体験が大切だ。
教材選びでは、派手なヒーロー的活躍より、地味だが芯のある行動を扱う物語の方が3年生の心に届きやすい。気高さは目立つところにあるのではなく、目立たないところに静かに宿る。その感覚を育てたい。
3. 「メディアの感動」も否定しない
解説には、現代を意識した記述がある。
様々なメディアが発達した昨今,巧みな映像などが私たちに感動を与えてくれることも少なくない。これらも美しいもの気高いものから感動を求めようとする人間の思いの表れである。自然のもの,人工のものと区別するのではなく,美しいもの,清らかなもの,気高いものに接したときの素直な感動を大切にすることが求められる。
「自然の感動が本物で、メディアの感動は偽物」と区別しないこと。これは現代の子どもにとって大切な指摘だ。
アニメで泣いた、ゲームで感動した、動画で心が動いた。これらも人間の感動する心の表れとして尊重する。何に感動したかを大人が判定するのではない。感動できる心があるかどうかこそが本質だ。
子どもが「アニメのこの場面で泣いた」と語ったら、それを真剣に受け止める。感動の対象を否定された経験は、感動する力そのものを萎ませる。教師の役割は感動の対象を選別することではなく、感動を語れる場を作ることにある。
4. 「人間の力を超えたもの」への入口
高学年では「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」へと発展する。中学年はその手前だ。
「畏敬」という概念はまだ3年生には早い。けれど、「人間の力では作れないもの」や「説明しきれないすごさ」への、ぼんやりとした感覚は芽生えている。
夕焼けの美しさ、星空の広がり、生命の不思議、海の大きさ。理屈を超えた何かに心が静かに揺れる経験を、「すごい」だけで済ませず、「言葉にならないけど、何か大きなものを感じる」という体験として大切にしたい。これが高学年の畏敬の念へと繋がる種になる。
関連する内容項目
- 自然愛護(D⑳):自然の美しさへの感動。D領域内で連動が深い。
- 生命の尊さ(D⑲):生命の尊厳への畏敬の念。D領域の中核。
- 正直、誠実(A②):誠実な人の生き方への気高さ。A領域と連動。
- 希望と勇気、努力と強い意志(A⑤):頑張る人の姿への感動。
D領域全体は「人間の力を超えたものとの関わり」というテーマで結ばれている。中学年では、その入口として身近な美しさと気高さを扱う。D領域は中学年でまとめて配置すると、子どもの中で繋がりが生まれやすい。
授業のヒント——「ふと、心が止まった瞬間」
中学年の感動の授業で取り組みやすいのが、「ふと、心が止まった瞬間」を集める活動だ。
「感動」と言われると身構える子も、「ふと、心が止まった瞬間」と問われると書きやすい。
- 朝の通学路で、雲の形が気になって立ち止まった
- 給食の時、おばあちゃんから聞いた話を思い出した
- 友達の手伝いを見て、なんだか胸が温かくなった
- 物語の最後の一行で、本を閉じる手が止まった
書き出したものを、無理に共有させない。書いた本人だけが大切にするものとして残す。教師は、書いたという事実だけを認める。
「自分の中に、こんな瞬間があるんだ」と気付くこと自体が、3年生にとっては大きな発見だ。
発問例。
- 「あなたが最近、心が動いた瞬間は?」
- 「言葉にできないけど、いいなと思ったものはある?」
- 「自分にはこういうものに感動する心があるんだな、と気付いたことはある?」
他教科・他領域との連動
- 国語:詩・物語・伝記が感動の宝庫。読み聞かせの時間も大切にしたい。
- 音楽:美しい音色に静かに耳を傾ける時間。鑑賞の授業との連動。
- 図画工作:絵画・彫刻の鑑賞や、自分の表現を通して美しさを考える。
- 理科:生命の不思議・自然の壮大さに触れる単元との連動。
- 社会科:先人の生き方を扱う単元で、気高さを感じ取る。
- 特別活動:行事の中で、人の頑張る姿に出会う。
道徳の45分だけでは、感動・畏敬の念は育たない。学校生活全体が、美しいものに触れる場でありたい。教室に絵を一枚掲げる。廊下に詩を貼る。季節の花を置く。美しいものを日常の風景に溶け込ませる工夫を、地道に重ねたい。
教師として残しておきたいこと
私は農業をしていた時期に、自然の前に立つ謙虚さを学んだ。種を蒔き、芽が出る瞬間。雨が降り、土が変わる瞬間。冬を越えた苗が春に新しい葉を出す瞬間。人間の力では作れないものが確かにこの世界にある。それは頭で理解する以前に、体で覚えた感覚だった。
Web開発をしていた時期にも、別の種類の感動があった。誰かが書いたコードの美しさに息を呑んだことがある。何気ない一行に長い思考の積み重ねが宿っているのを見つけたとき、画面の向こうの誰かに対して、自然と頭が下がった。気高さは、自然の中にも人間の営みの中にも、平等に宿っている。
3年生に伝えたいのは、「心が震えた瞬間を忘れないでいてほしい」ということだ。そしてその瞬間を人と分かち合えることも、人間の喜びの一つだと知ってほしい。
感動する心は、生きていく上での灯だ。困難な場面に出会ったとき、自分の中に「美しいと感じた記憶」「気高いと震えた記憶」があれば、人は折れずに進める。中学年のうちに、その灯をしっかりと点けておきたい。
これから教壇に立つ私自身、子どもの前で素直に感動できる教師でありたい。詩を読んで「いい詩だね」と言える。子どもの作品を見て「すごいね」と本気で言える。教師の感動が、子どもの感動を呼び覚ます。それは経験の多少に関係なく、人を育てる仕事の根本だと思っている。
指導のポイント(実習用メモ)
- 「美しい」から「気高い」へと感動の対象が広がる時期
- 中学年は「人の心の気高さ」に気付き始める
- 反復と日常の中で、感動する力を育てる
- 「感じている自分に気付く」一段深い視点を入れる
- 「気高さ」は身近な具体例から感じ取らせる
- メディアの感動も否定せず、感動の事実を尊重する
- 教室や校内に美しいものを置く工夫
- 高学年の「畏敬の念」への橋渡しを意識する
まとめ——感動する心は、生きていく灯
3年道徳の「感動、畏敬の念」は、心の灯を点す時間だ。
- 「美しいもの」から「気高いもの」へ広がる感動
- 人の心の美しさに気付く中学年の感性
- 反復と日常の中で育てる感動の力
- 「感じている自分」を肯定する深い気付き
- メディアも自然も区別せず、感動を尊重する
中学年は、感動を素直に語れる最後の時期かもしれない。高学年になると照れや周囲の目が、感動を口にすることを難しくする。だからこそ3年生のこの時期に、「心が動いた」と素直に言える文化を学級の中に作っておきたい。
実習でこの単元を扱うなら、自分自身が最近、何に感動したかを話せる準備をしておきたい。教師が感動を語れない授業では、子どもの感動も言葉にならない。教師の小さな感動の語りが、子どもの感動を引き出す呼び水になる。
「あなたには、美しいものを美しいと感じる心があるよ。それは、これから一生、あなたを支える力だよ」。3年生に、そう手渡したい。



この記事は、小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 特別の教科 道徳編(文部科学省, 2017)の第3章第2節、および第5章「道徳科の評価」を基に執筆しています。

