「なんでできなくなったの?」という謎
小学3〜4年生を担任した先生から、こんな声を聞くことがある。
「1・2年生のときはあんなに楽しそうだったのに、3年生になって急につまずいてしまった」
これは偶然でも、その子の努力が足りないわけでもない。「9歳の壁」と呼ばれる、発達上の必然的な段差がそこにある。
何が変わるのか——「絵にかけるもの」から「絵にかけないもの」へ
スイスの心理学者ピアジェは、子どもの認知発達を4つの段階に分類した。そのうち「9歳の壁」に直結するのが、具体的操作期(7〜11歳)から形式的操作期(11歳〜)への移行だ。
低学年の子どもは、具体的操作期のまっただ中にいる。目の前にあるものを操作して考えることは得意だ。
- 算数:「りんごが3個ある」→ 数える、触れる、並べる
- 国語:「うさぎが走った」→ 場面を絵にできる、順番に話せる
ところが9歳くらいから、抽象概念の芽生えが始まる。「平和」「権利」「償い」——絵にかけない、動画にできないものを扱い始めるのだ。
| 低学年まで | 9歳以降 |
|---|---|
| 事実を描写する | 原因・理由を説明する |
| 時系列の物語 | 登場人物の心情・動機 |
| 足し算・引き算 | 割合・分数・比 |
| 「何をしたか」 | 「なぜそうしたか」 |
発達障害教育総論の授業で印象に残ったのは、「サンタクロースがいないことに気づくのも9歳頃」という話だった。サンタの存在を疑うには、「目に見えない事柄を論理的に検証する」という抽象的思考が必要になる。死や障害といった概念も、9歳以降に初めて理解の入口に立てるという。つまりこの年齢は、思考の様式そのものが変わる転換点なのだ。
「生活言語」から「学習言語」への転換
聴覚障害教育の文脈では、この壁をもう少し別の角度から説明している。日常会話で使われる「生活言語」から、思考や学習の道具となる「学習言語」への質的な転換だ。
「広い」という言葉は、「広い公園」を通じて具体的に理解できる。しかし「平和」「権利」といった抽象概念は、目に見えず、多様な文脈の中でその意味を類推し、再構築していく必要がある。このプロセスには、背景となる知識や語彙のネットワークが不可欠となるが、多くの子どもにとってこのネットワークが9歳頃にようやく形成され始めるのだ。
興味深いのは、日本では分数を小学3年生で教え始めることだ。しかし他の国では4年生、ドイツでは6年生で初めて分数を教える。これは偶然ではない。抽象概念の理解が9歳頃に始まるという発達段階を考えれば、3年生で分数につまずく子が多いのは、カリキュラムが発達に先行している可能性がある。
「ごんぎつね」という試金石
4年生の国語教材「ごんぎつね」は、この転換点を象徴する教材だ。
「どうして、ごんは毎日栗を持ってきたのか?」
この問いに答えるには、「償い」という登場人物の心の動き——つまり抽象的な感情を推論する力が必要になる。答えは本文に直接書いていない。「行動の事実」から「心の動き」を自分の言葉で読み取る力が初めて問われる。
ここで詰まる子は「読めていない」のではなく、抽象思考の準備がまだ整っていないだけだ。
「廊下を走らない」は絵にできない
授業で特に印象に残った具体例がある。
「廊下を走らない」を絵カードにしようとしても、うまくいかないという話だ。走っている絵に×印を描いても、子どもの目は「走っている絵」に注意が向いてしまう。だから代わりに 「廊下を歩く」の絵を描く。すると、「歩いていること」を褒めることができる。
これは抽象概念の指導における核心的な問題を示している。「してはいけないこと」は抽象的だが、「していいこと」は具体的に示せる。9歳前後の子どもに限らず、「禁止」より「推奨」を具体的に見せるという原則は、教室でもそのまま使える。
壁は「9歳」で一律に来るわけではない
ここまで「9歳頃」と書いてきたが、実際にはこの壁は全員が同じタイミングで迎えるわけではない。
身長の伸びに個人差があるように、認知の発達にも個人差がある。同じ3年生の教室の中に、すでに抽象的な概念をスムーズに理解できる子もいれば、まだ具体物がないと考えられない子もいる。ピアジェの保存の概念に関する研究でも、定型発達の子どもは8歳頃に水の量・数・長さの保存を理解し、9歳頃に面積や重さの保存を獲得するとされるが、近年の研究では教示の言い回しや教育歴の影響も指摘されており、獲得時期には幅がある。
大事なのは、この個人差は「障害」ではないということだ。発達が早い子もいれば、ゆっくりな子もいる。それは単なる個人差であり、ゆっくりな子がいずれ同じ段階に到達しないわけではない。ところが、カリキュラムは学年一律で進む。3年生で分数、4年生で「ごんぎつね」。その一律のペースに乗れなかった子が「できない子」に見えてしまう。本当はまだ準備が整っていないだけなのに。
この視点は、特別支援学校ではさらに重要になる。知的障害のある子どもの場合、発達は暦年齢ではなく精神年齢とおおむね相関して進む。暦年齢が10歳でも概念理解が7歳相当の子どもに、4年生向けの教材でそのまま教えても伝わらない。聴覚障害のある子どもの場合は、音声情報の入力が制限されるため、音韻意識——言葉を音の単位で捉える力——の形成に困難が生じ、読みの学習が進みにくくなる。
しかし、通常学級でも特別支援学校でも、根本は同じだ。問題は「能力がない」ことではなく、その概念に必要な土台がまだ形成されていないだけだという点は変わらない。壁の高さも位置も、一人ひとり違う。
壁を「越えさせる」のではなく「壁を削る」
では、教師にできることは何か。壁を無理に飛び越えさせるのではなく、壁そのものを低くする発想が有効だと考えている。
1. 「なんとなく分かる」を言語化させる
「分かった?」ではなく「どういうこと?」と問い返す。言葉にできない理解は、次の段階で崩れやすい。「生活言語」を「学習言語」に変換する訓練は、日常の問い返しの中にある。
2. 抽象概念を体験と結びつける
割合なら「このクラスで給食を残した人は何割?」。理由を述べる練習なら「今日の昼休み、なんで外に出なかった?」。抽象的な概念ほど、具体的な体験やイメージと結びつける工夫が求められる。
3. 問いを細かく分解する
「なぜごんは栗を持ってきたのか?」が大きすぎるなら、「ごんは何をしてしまった?」「兵十はどんな顔をしていた?」と階段を作る。具体操作の段階を十分に経験させてから、少しずつ抽象へ橋を渡す。この「橋の設計」が授業設計の核心だ。
4. 「してはいけないこと」より「していいこと」を見せる
「廊下を走らない」の絵カードの例が示すように、禁止の指示は抽象的で伝わりにくい。「廊下を歩こう」と具体的に示すほうが、子どもの行動は変わりやすい。
5. 「どこにいるか」を一人ひとり特定する
農業では、肥料を撒く前に土の状態を確認する。どんなに良い肥料でも、土台ができていなければ根は張らない。教育も同じで、「何を教えるか」の前に「その子の土台がどこにあるか」を見極めることが先になる。つまずきの原因が音韻意識なのか、ワーキングメモリ(情報を一時的に保持しながら操作する力)なのか、視空間認知なのかで、必要な支援はまったく変わってくる。
壁を知ることは、子どもを知ること
9歳の壁を学んで気づいたのは、これが単なる「学力のつまずき」ではなく、思考の様式が変わる転換点だということだ。
ピアジェの発達段階で言えば、具体的操作期から形式的操作期への移行。言語の側面で言えば、生活言語から学習言語への転換。この二つが重なるのが、まさに9歳前後なのだ。
この時期の子どもたちは、ただ「できない」のではなく、できない理由のある段階にいる。そして、その段階は一人ひとり異なる。通常学級でも特別支援学校でも、大切なのは「壁がどこにあるか」を見極め、その子に合った足場を作ることだ。
つまずきは「やる気がない」サインではなく、「今まさに土台を作っている」サインとして捉え直す視点が、この時期の教師には特に必要だと思う。
2026年6月の教育実習では、目の前の子どもたちがどの段差にいるかを丁寧に観察するところから始めたい。
本記事は、大学「発達障害教育総論」「聴覚障害教育指導法Ⅰ」「聴覚障害の心理・生理・病理Ⅰ」「知的障害の心理・生理・病理」の学習内容をもとに執筆した。


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